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明治維新以降の日本では急速な産業化とともに資本主義による経済発展が進んだが、株式会社の金融機関である銀行は専ら都市部の大企業や土地投資などの大きな事業に力を注いでいたために地方の中小企業や一般市民はその恩恵が受けられずに地域社会の混乱や貧富の差が拡大するという事態となりました。

それを受けて明治政府は従来の資本主義の思想に基づく株式会社としての銀行ではなくドイツの信用組合を手本とした地域ごとの民主的な運営原理をもった協同組織としての金融機関の発足することで中小企業や地方庶民の生活のために必要とし、時の内務大臣品川弥二郎と平田東助らが中心となり1900年(明治33年)に産業組合法が制定されました。

この産業組合法はアジアで最初の協同組合について規定された当時としてはとても画期的な法律で。「信用」「販売」「購買」「利用」という4つの事業を産業組合の組合員同士で行うことにより地域経済の発展に大きく貢献しました。

この産業組合の事業は現在の農業協同組合、信用金庫、生協の母体となったものといわれています。

そんな中ドイツの法律家シュルツ・デーリチュの考案した信用組合に習い日本の各地の有力者たちも信用組合の設立に乗り出しそれが現在の信用金庫の前身とされています。同じく南ドイツの行政家ライファゼンの考案したライファゼン式信用組合も用いられこちらは農業協同組合における信用事業の基礎となりました。

これら産業組合運動は当時の文学者も自らの作品の中にその名を残すほどに話題となり新渡戸稲造や宮沢賢治などもこの運動に参加していたといわれています。

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